「健康経営をやれ」と経営層に言われた。あるいは取引先や採用の場で「健康経営」の文字を見て調べ始めた——そんな立場でまず浮かぶのは、「健康経営って、結局“健康診断をやること”と何が違うの?」という疑問ではないでしょうか。健診は手配している、福利厚生もそれなりにある。それでも離職は止まらず、長時間労働も減らない。何かが足りない気がするのに、それが何かが言葉にならない。本講座は、その「何か」を埋めるための地図です。
健康経営とは、従業員等の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践することです(出典:経済産業省「健康経営」)。言い換えると、従業員の健康を「コスト」ではなく「投資」として捉え、会社が方針・体制・指標を持って組織ぐるみで施策を回すこと。健診や福利厚生の“手配”そのものではなく、それを経営課題として位置づける発想が核です。覚えて帰る型は「健康を投資と捉える → 施策を4観点で束ねる → 方針・体制・指標で回す」。本講座ではこの型を、(架空例)従業員50人規模のA社が、健診実施だけの状態から施策の全体像を整え、回し始めるまでを追いながら身につけます。
本講座は「会社が健康を投資として捉え、施策を設計・運用する側」の目線に絞ります。働く人本人が自分のストレスサインに気づいて対処するセルフケアはストレスマネジメント、従業員の定着・満足そのものを測って打ち手を回す運用はエンゲージメント向上が、それぞれの正本です。個人の健康法や各論にはここでは踏み込みません。
この講座のポイント
- 健康経営とは何かと、なぜ会社がそれに取り組むのかを、自分の言葉で説明できる。
- 健康経営の施策を観点ごとに分類して、自分の言葉で説明できる。
- 自社が次に着手する施策を、方針・推進体制・指標とセットで説明できる。
健康経営とは何か——なぜ会社が健康に投資するのか
この章のゴール
健康経営とは何かと、なぜ会社がそれに取り組むのかを、自分の言葉で説明できる。
健康経営は「健康を経営課題として位置づける」こと
健康経営の出発点は、従業員の健康を「経営課題」として扱う発想にあります。経済産業省は、健康経営の推進を「企業が従業員の健康づくりを『コスト』ではなく『投資』として捉え、人的資本投資の一環として推進」することと位置づけています(出典:経済産業省「健康経営の推進について」)。ここで大事なのは、健康診断や福利厚生の“手配”そのものが健康経営なのではない、という点です。健診を実施することは手段の一つにすぎません。それを「うちの経営課題は何で、健康を通じて何を実現したいのか」と結びつけて初めて、健康経営になります。
健康な人が増えると成果につながる、という因果で会社が動く
なぜ会社が、わざわざお金と手間をかけて従業員の健康に投資するのか。経済産業省は、その因果を次のように整理しています。「企業理念に基づき、従業員等への健康投資を行うことは、従業員の活力向上や生産性の向上等の組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上や株価向上につながると期待される」(出典:経済産業省「健康経営」)。つまり、健康は「いいことだから」やるのではなく、健康な人が増えれば組織が活性化し、生産性や定着、ひいては企業価値が上がる——という因果の見立てに立って、会社が投資判断として動くわけです。なお、こうした取り組みを「見える化」する仕組みとして、経済産業省は健康経営優良法人認定制度や健康経営銘柄といった顕彰制度を設けています(出典:経済産業省「健康経営優良法人認定制度」)。取り組む法人の裾野は年々広がっていますが、最新の認定数や区分は制度の改訂で変わるため、ここでは数字には立ち入らず、出典先で確認してください。
「福利厚生を手厚くする=健康経営」というつまずき
ここでのつまずきは2つあります。1つは「福利厚生を手厚くすれば健康経営だ」という取り違え。もう1つは「いいことだから」で目的が曖昧なまま、施策だけを並べてしまうことです。(架空例)A社は健診を毎年きちんと実施しています。それでも離職と長時間労働に悩んでいる。これは「健診=作業」で止まっており、「健康=経営課題」として扱えていない状態です。健診の数字を、離職や生産性という経営の関心事につなげて見ていないのです。健康経営は“個人が健康になる方法”の話ではなく、会社が健康を投資対象として扱う枠組みの話だ——この一線を最初に引いておきましょう。
この章の確認(演習)
自社(または身近な会社)で「健康に関する取り組み」を1つ挙げてください。そのうえで、それが“作業”として実施されているだけか、それとも“経営課題への投資”として目的とつながっているかを判定し、「なぜそう判定したか」を一言で説明してみましょう。
健康経営の施策を4つの観点で分類する
この章のゴール
健康経営の施策を観点ごとに分類して、自分の言葉で説明できる。
施策はバラバラに覚えず、4つの観点で束ねる
健康経営の施策は数が多く、ひとつずつ覚えようとすると必ず抜けが出ます。そこで、本講座では施策を機能で束ねた4つの観点で整理します。①健康課題の把握(今どうなっているかを知る)、②働き方(働く環境を整える)、③心身のケア(整える支援を用意する)、④組織風土(健康を当たり前にする雰囲気と経営層の関与)です。これは説明のための整理で、経済産業省の認定要件そのものは「経営理念・方針/組織体制/制度・施策実行/評価・改善/法令遵守」という大項目で構成されています(出典:経済産業省「健康経営の推進について」)。本章の4観点は、そのうち「制度・施策実行」の中身を、現場で使いやすいように束ね直したものだと理解してください。
同じ「健康診断」も“把握”という観点に位置づけて意味づける
4観点に沿って、代表的な施策を見ていきます。観点①の健康課題の把握には、定期健診やストレスチェックが当たります。経済産業省の認定要件でも、健康課題の把握として「定期健診受診率」「受診勧奨の取り組み」などが挙げられています(出典:同上)。ここで重要なのは、同じ健康診断でも「把握」という観点に位置づけ直すと意味が変わることです。健診は“やって終わり”の作業ではなく、自社の健康課題を知るための入口になります。なお、ストレスチェックは労働安全衛生法に基づき、常時50人以上の労働者を使用する事業場に実施が義務づけられています(50人未満は従来は努力義務でしたが、2025年5月公布の改正で義務化されました。出典:厚生労働省「ストレスチェック制度・メンタルヘルス対策」)。観点②の働き方には、長時間労働への対応や、育児・介護との両立支援といった「適切な働き方の実現」が入ります(出典:経済産業省「健康経営の推進について」)。観点③の心身のケアには、食生活の改善、運動機会の増進、メンタルヘルス不調者への対応などが並びます(出典:同上)。ただし、働く人本人がストレスサインに気づいて対処していく進め方そのものはストレスマネジメントに、職場のハラスメントの線引きはハラスメント防止に譲り、本講座は「会社が相談先やしくみを用意する側」に絞ります。観点④の組織風土には、職場のコミュニケーション促進や、経営層が健康づくりに関与する体制づくりが当たります(出典:同上)。
流行りの施策から入ると観点が偏る
つまずきは、人気の福利厚生から手をつけて観点が偏ることです。(架空例)A社の現状を4観点に当てはめてみましょう。①把握=健診はある、②働き方=長時間労働は手つかず、③心身のケア=相談先が無い、④組織風土=経営層の関与が見えない。こうして並べると、A社は「把握」だけが埋まっていて、残り3観点が空欄だと一目で分かります。把握だけで満足してしまうと、せっかく見えた健康課題に対する打ち手が用意されないまま終わってしまいます。
この章の確認(演習)
自社(または架空のA社)の取り組みを、①健康課題の把握、②働き方、③心身のケア、④組織風土の4観点に振り分けてください。そのうえで、最も手薄な観点を1つ特定し、なぜそこが空欄になっているかを一言で書き出してみましょう。
方針・体制・指標で施策を回す——PDCAの入口
この章のゴール
自社が次に着手する施策を、方針・推進体制・指標とセットで説明できる。
施策は“並べる”だけでは続かない
手薄な観点が見えたら、次は施策を「回す」段階です。施策は並べるだけでは続きません。経済産業省の認定要件は、施策の実行(制度・施策実行)の前後を、経営理念・方針/組織体制/評価・改善という大項目で挟む構造になっています(出典:経済産業省「健康経営の推進について」)。本講座では、これを現場で使える3点——方針・体制・指標——に束ね直します。①方針=経営層が「健康経営に取り組む」と表明する、②体制=誰が旗を振り、誰が実務を動かすかを決める、③指標=測れる目標を置いて振り返る。この3点がそろって初めて、施策は回り続けます。
方針・体制・指標の3点で回す
3点を制度の言葉と突き合わせます。まず方針。中小規模の認定要件では「健康宣言の社内外への発信及び経営者自身の健診受診」が必須とされています(出典:同上)。経営トップが「やる」と社内外に表明し、自ら健診を受ける——これが出発点です。次に体制。認定要件では「健康づくり担当者の設置」が求められ、大規模では「健康づくり責任者が役員以上」であることや、産業医・保健師、健康保険組合など保険者との連携が挙げられています(出典:同上)。旗振り役と実務担当を置き、必要に応じて専門職とつなぐということです。最後に指標。認定要件には「健康課題に基づいた具体的な目標の設定」「健康経営の具体的な推進計画」があり、「定期健診受診率」のような測れる指標が並びます。そして「評価・改善」として効果検証が求められます(出典:同上)。
(架空例)A社は、手薄だった「働き方」から「長時間労働の是正」を次の一手に選びました。方針=経営層が全社に取り組みを表明する。体制=人事が事務局を担い、各部署に推進担当を置く。指標=残業時間と有給取得率を毎月見て振り返る。こうして方針・体制・指標をセットにすると、施策は「やってみた」で終わらず、続く仕組みになります。なお、健康経営に取り組むこと自体が、求職者や金融機関、取引先からの評価につながり、認定法人にはロゴマークの使用や自治体・金融機関のインセンティブといった後押しもあります(出典:経済産業省「健康経営優良法人認定制度」)。
経営層の表明も指標も無いと立ち消える
つまずきは2つです。1つは、施策だけ決めて経営層の表明・体制・指標が無く、現場任せで立ち消えること。もう1つは、指標を「健康になる」のような“測れない目標”にしてしまうことです。指標は、受診率や取得率のように後から数えられるものを選びます。従業員の定着・満足そのものを測って打ち手を回す運用を深めたい場合はエンゲージメント向上へ、推進する管理職の役割全体を整理したい場合はマネジメントの基本へ進んでください。
この章の確認(演習)
第2章で特定した手薄な観点から、次に着手する一手を1つ選んでください。その一手について、①方針(誰がどう表明するか)、②体制(旗振り役と実務担当は誰か)、③指標(何を測って、どの周期で振り返るか)を、1セットで書き出してみましょう。
まとめ
健康経営とは、従業員の健康を“コスト”ではなく“投資”として捉え、会社が方針・体制・指標を持って施策を回すことです。健診や福利厚生の手配そのものではなく、それを経営課題として位置づける発想が核でした。覚えて帰る型は「健康を投資と捉える → 施策を4観点(把握・働き方・心身のケア・組織風土)で束ねる → 方針・体制・指標で回す」。手薄な観点を見つけ、そこから方針・体制・指標とセットで一手を進める——これが健康経営の最初の実務です。
明日の一歩として、自社の健康に関する取り組みを4観点に振り分け、最も手薄な観点を1つだけ書き出してみてください。そこが、あなたの会社が次に投資する場所です。さらに進むなら、働く人本人のセルフケアはストレスマネジメント、定着・満足の運用はエンゲージメント向上へどうぞ。
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よくある質問
健康経営と健康診断は何が違うのですか
健康診断は健康経営の手段の一つです。健康経営は、健康を経営課題として位置づけ、施策を方針・体制・指標で回す取り組み全体を指します。
健康経営とは誰が提唱している考え方ですか
経済産業省が推進し、従業員の健康を「コスト」ではなく「投資」と捉える経営手法です。優良な取り組みは健康経営優良法人認定制度などで見える化されています。
何から手をつければよいですか
まず自社の取り組みを4観点(把握・働き方・心身のケア・組織風土)に振り分け、最も手薄な観点を特定します。そこから方針・体制・指標をセットで一手を進めます。
中小企業でも健康経営はできますか
できます。経営者が健康宣言を表明し、担当者を置き、受診率など測れる指標を1つ決めるだけでも始められます。中小規模法人向けの認定制度も用意されています。